楽曲解説

琴伝流大正琴 酔芙蓉

冬景色

作詞・作曲不詳 大正2年 文部省唱歌

一 さ霧消ゆる湊江(みなとえ)の

  舟に白し、朝の霜。

  ただ水鳥の声はして

  いまだ覚めず、岸の家。

二 からす啼きて木に高く

  人は畑に麦を踏む

  げに小春日ののどけしや

  かえり咲の花も見ゆ

三 嵐吹きて雲は落ち

  時雨降りて日は暮れぬ

  若し燈火の漏れ来ずば

  それと分かじ 野辺の里


日本画の中にありそうな風景が広がっているように思います。

大正二年、110年も前の曲なのに歌詞の中の景色が浮かびます。

それは懐かしい風景なのですが、当たり前のように浮かんでくる不思議。日本の原風景があるのでしょう。

祇園小唄

作詞 長田幹彦 作曲 佐々紅華 昭和5年発表

(一)

月はおぼろに東山

霞む夜毎のかがり火に

夢もいざよう紅桜

しのぶ思いを振袖に

祇園恋しや だらりの帯よ

(二)

夏は河原の夕涼み

白い襟足ぼんぼりに

かくす涙の口紅も

燃えて身を焼く大文字

祇園恋しや だらりの帯よ

(三)

鴨の河原の水やせて

咽(むせ)ぶ瀬音に鐘の声

枯れた柳に秋風が

泣くよ今宵も夜もすがら

祇園恋しや だらりの帯よ

(四)

雪はしとしと丸窓に

つもる逢瀬の差し向い

灯影つめたく小夜ふけて

もやい枕に川千鳥

祇園恋しや だらりの帯よ


祇園の四季の風景に、舞妓さんの恋心を巧みに織り交ぜて唄われます。

京都の舞妓さんは、この曲を踊らない日はない、というほどだそうです。「祇園恋しや だらりの帯よ」という旋律が印象的な上方端唄の名曲です。

なみだ恋

作詞 悠木圭子 作曲 鈴木淳 1973年 八代亜紀4枚目のシングル

一 夜の新宿 裏通り

  肩を寄せあう通り雨

  誰を恨んで濡れるのか

  逢えばせつない別れがつらい

  しのび逢う恋 なみだ恋

二 夜の新宿 こぼれ花

  一緒に暮らす しあわせを

  一度は夢に みたけれど

  冷たい風が 二人を責める

  しのび逢う恋 なみだ恋

三 夜の新宿 裏通り

  夜咲く花が 雨に散る

  悲しい運命を 占う二人

  何故か今夜は 帰したくない

  しのび逢う恋 なみだ恋


「夜の新宿 裏通り…」で始まる哀感漂う悲恋を歌った曲で、60万枚の大ヒットとなります。この曲で八代は1973年(昭和48年)の第15回日本レコード大賞で歌唱賞を受賞し、第24回NHK紅白歌合戦に初出場を果たしました。

 

エルベッテ声楽アカデミー

乾杯の歌

作曲 ヴェルディ 1953年 オペラ『椿姫』

Libiam ne’ lieti calici che la bellezza infiora,

E la fuggevol ora s’inebri a voluttà.

Libiam ne’ dolci fremiti che suscita l’amore,

Poiché quell’occhio al core onnipotente va.

Libiamo, amor fra i calici

Più caldi baci avrà.

乾杯しよう、美しく飾られた喜びの杯に

そして、つかの間のあいだ喜びに酔いしれる

乾杯しよう、愛がもたらす甘美な震えの中で、

その瞳が絶対的な力で心に向けられるから

乾杯しよう、愛は杯の間で、

より熱い口づけを手に入れることだろう


「乾杯の歌」は、第一幕の冒頭、アルフレードが乾杯の音頭を取り、二人が出会うシーンで歌われます。社交界の華やかさを見事に表現した曲です。

春の声

作曲 ヨハン・シュトラウス二世 1882年 ウィンナワルツ

Die Lerche in blaue Höh entschwebt,

der Tauwind weht so lau;

sein wonniger milder Hauch belebt

und küßt das Feld, die Au.

Der Frühling in holder Pracht erwacht,

ah alle Pein zu End mag sein,

alles Leid, entflohn ist es weit!

Schmerz wird milder, frohe Bilder,

Glaub an Glück kehrt zuruck;

Sonnenschein, ah dringt nun ein,

ah, alles lacht, ach, ach, erwacht!

ヒバリは青空高く舞い上がり、

凍てついていた風もこんなに暖かくなった。

その喜びあふれる優しい吐息は活気づいて

そしてくちづけるの 野に、牧場に。

春は 美しい装いで目覚め、

ああ、ああ、ああ

すべてつらいことは終わるでしょう、

あらゆる悩みも 遠くへ去ってゆくわ!


ピアニストであり親友でもあった当時71歳のフランツ・リストと即興演奏パーティで同席した時、余興でまとめ上げたといわれています。

作曲当時58歳のシュトラウスですが、新しい恋が3回目の幸せな結婚に発展しつつあった時期でもあり、若々しく、あふれるばかりの幸福感に満ちた曲です。

 

私のお父さん

作曲 プッチーニ 1918年 オペラ『ジャンニ・スキッキ』のアリア

O mio babbino caro,

mi piace, è bello, bello,

Vo'andare in Porta Rossa

a comperar l'anello!

ああ、私の愛しいお父さん

私は彼を愛しているの、彼は素敵、素敵

ポルタ・ロッサへ行きたいの

指輪を買いに


ラウレッタの父スキッキと、彼女が想いを寄せる青年リヌッチョの家族との緊張が高まり、彼女とリヌッチョの仲が引き裂かれそうになったところで、ラウレッタが歌う曲です。

 

 城ヶ島の雨

作詞 北原白秋 作曲 梁田貞 大正2年

  雨はふるふる 城ヶ島の磯に

  利休鼠の雨がふる

 

  雨は眞珠か 夜明の霧か

  それともわたしの忍び泣き

 

  舟はゆくゆく 通り矢のはなを

  濡れて帆あげたぬしの舟

 

  ええ 舟は櫓でやる 櫓は唄でやる

  唄は船頭さんの心意気

 

  雨はふるふる 日はうす曇る

 

  舟はゆくゆく 帆がかすむ


大和楽「城ヶ島の雨」は詩人・童謡作家として有名な北原白秋の詩「城ヶ島の雨」の歌詞をそのまま使って、大和楽として作曲された作品です。白秋が神奈川県三浦半島の三崎に住んでいたとき、雨にけぶる城ヶ島の情景に自らの心情を重ねて書かかれました。

 

歌に生き、恋に生き

作曲 プッチーニ オペラ『トスカ』

Vissi d'arte, vissi d'amore,


non feci mai male ad anima viva!


Con man furtiva


quante miserie conobbi aiutai.

歌に生き 愛に生き


他人を害することなく


哀れな人たちと知れば


そっと手を差し伸べてきた


主人公のトスカが第2幕で絶望と悲しみの中でこのアリアを熱唱します。

また、数あるソプラノの名アリアの中でも人気の特に高い曲でもあります。

 

カタリ・カタリ

作曲 カルディッロ 1911年

Catari catari

pecche me dice sti parole amare

pecche me parle e’ o core me turmiente

Catari?

 

Nun te scurda

ca t’aggio date’o core Catari

nun te scurda!

カタリ、カタリ

なぜこんなひどいことを言うのですか

なぜそんな話をして私苦しめるのですか

カタリ

 

忘れないでください

君に捧げた心のことを


「カタリ」という名前は女性の名前であり、この曲ではカタリに別れを告げられた男性の悲しみや苦しみが深く唄われています。

曲名を直訳すると「つれない心」。

男性は「私があなたをどれほど大切に思っているか、なぜそれが伝わらないのか」と訴えています。

 

作詞 武島羽衣 作曲 滝廉太郎

一 春のうららの 隅田川

  のぼりくだりの 舟人が

  櫂のしづくも 花と散る

  ながめを何に たとうべき

二 見ずや あけぼの 露浴びて

  われに もの言ふ 桜木を

  見ずや 夕ぐれ 手をのべて

  われさしまねく 青柳を

三 錦おりなす 長堤(ちょうてい)に

  くるれば のぼる おぼろ月

  げに 一刻も 千金の

  ながめを 何に たとふべき


明治期に活躍した作曲家、瀧廉太郎。

私たちが子どもの頃に親しんだ「お正月」などの唱歌や、「荒城の月」、「花」といった名曲を遺した作曲家です。

わずか23年10か月という短い生涯の中で、東京音楽学校(現・東京藝術大学)で学び、日本における西洋音楽の普及や音楽教育に大きな役割を果たしました。

 

小川好美・田中志穂

津軽小原節

青森県津軽地方の民謡

サーサ ダシタガヨイヤー

 

アーりんごなる木も冬の日は 雪に埋もれて一休み やがて芽の出る時を待つ

アー春は身軽に枝切られ くすりの化粧で若返り 年に一度の花が咲く

アー花に無駄なく実を結び りんご可愛いとかけられて 袋の中にて夏を越す

アー秋が来たかと顔出せば 色が付くつく赤々と 色より味は更によい

  津軽りんごと オハラ名も高い

 

マタモ ダシタガヨイヤー

 

アーお山晴れたよ朝霧晴れた 裾野桔梗は花盛り 谷の向こうで馬草刈る

アー赤い頬被りひらひらと あの娘よい娘だどこの娘だ 草刈り上手で声がよい ホーハイ節がほろほろと

アー今夜踊ろよ盆踊り 可愛いあの娘の手を取りて 踊り明かそよカオカオと

 

  夜明け烏の オハラ鳴くまでも

 


遊芸人達が門付けや舞台などで歌ってきた唄です。

その源流ははっきりしていませんが、本州の日本海側の港町で、酒席の唄として生まれたものと言われています。

歌詞に「オワラ」の言葉が挿入されているところから「オワラ節」と呼ばれてきました。

「じょんがら節」「オワラ節」「ヨサレ節」を「津軽三つもの」と呼びます。

 

磯節

茨城県三浜地方の民謡 日本三大民謡の一つ

磯で名所は 大洗様よ

(ハーサイショネ)

松が見えます ほのぼのと

(松がネ)見えます イソほのぼのと

(ハーサイショネ)

 

ゆらりゆらりと 寄せては返す

波の瀬に乗る 秋の月

(波のネ)瀬にのる イソ秋の月

水戸をはなれて 東へ三里

波の花散る 大洗

(波のネ)花散る イソ 大洗

 

三十五反の 帆を巻き上げて

ゆくよ仙台 石の巻

(行くよネ)仙台 イソ 石の巻

泣いてくれるな 出船の時にゃ

沖で艪かいも 手につかぬ

(沖でネ)艪かいも イソ手につかぬ

 

潮風吹こうが 波荒かろが

操かえない 浜の松

(操ネ)かえない イソ 浜の松


日本三大民謡の一つとして唄われている磯節は,水戸を離れて東へ三里と言われるように,大洗,那珂湊の浜辺に生まれ育ち今日まで唄い継がれてまいりました。その起因は明らかでなく,安政年間には,すでに豪快な中にも情緒あふれる磯節が漁師たちの間で唄われていたと伝えられ、その後この唄が座敷唄となり,三味線の伴奏がつき,花柳界で盛んに唄われ,格調高い民謡となりました。

 

津軽三味線曲弾き

曲引きとは、唄が入らない三味線の演奏です。華麗な撥さばきをご堪能下さい。